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あおいとりプロジェクト

水星期から金星期に関してのメモ(人の成長と星についての考察)

2016年02月4日|astrology, やまねこクロニクル

※次の鑑定予定は2月8日ウラナイトナカイです。
全体的にがら空きです。よろしかったらどうぞ。
青い鳥おみくじまだあと10枚くらいあります。よかったらどうぞ。
・2月3月のスケジュール更新しました。

***

これはここ何日かポロポロあちこちにつぶやいていたまとめ。
ちょっとばかし清書し直しました(乱文過ぎるけどすいません)

前々から、星はカレンダーだと思っていて、
●●期みたいな考え方はシュタイナーに近いんじゃないかと思うのです。
それも人の成長は季節のように、暦があるような、
スパイラルアップしていくサイクル何ではないかと思います。
薄く薄く積み重ねていく砂時計のようなもの。

季節のように巡っていくもの。

 

惑星にはそれぞれその惑星を習得する時期があるとされています。
星の成長は公転周期の早いものから人は獲得するという想定です。

月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星。
(なんかマザーグースの「ソロモン・グランディ」思い出しますね。
ヒドイ歌ですが、まあイギリスですので)

この順番で経験していくわけです。意識が広がっていく感じですかね?
あ、月がある、お水星みたいな感じで気が付いていくわけです。
だから、他の天体もアスペクトによっては気が付くこともありますが、
使いこなせる程度に身近になるのはやはりその惑星の時期を経ているのが大事ですよね。

 

ということで、
人の成長過程と、水星と金星を考えてみました。
目の前にサンプルがいるので、
考えさせられるというのが妥当ないい方でしょうか。

考察なのでこれが正しいと言ってるわけではありませんのであしからず。

どうぞご自身の信じたいことを信じてくださいませ。

“When you cry out “This insults me!” they aren’t their words that have hurt
but your way of receiving them.”(ホドロフスキー)

 

●ツィッターのメモ「金星期」について。

 

こどもが思春期になると、家族みんなで!って感じではなくなりますね。
彼らには彼らの世界観やペース、付き合いがあります。
個性形成の水星〜金星期の過渡期。独立の予行演習。

この辺でこども一辺倒だった人は夫や自分自身に向き合っといたほうがいいのではと最近思います。
ここいらで、手放し老後の準備(嫌な響きですがローマは一日にしてならず)
まあ、水星期(5〜15才)になったら少しずつ親は手を離していくようにしとくの良いよね。
金星期に過保護はその子の可能性潰す気しますし。暇だと口出したくなります。
どうせなら、自分に(もしくは配偶者に)そのエネルギーを向けたほうが精算的だと思います。
子は21歳になるまでに、けり出さなくてはならんと思いますし(天王星のトランジット)

しかしながら、水星期というのはまだまだおつきあいする必要な時期。
こどもの水星期を経験することで自分の水星期を振り返り、立て直しに役立ちそうだし、
足りないこと得意なことに気がつきそうな気がします。
そしてそれと同じことが金星期にも言えると思います。やりたいこと迷子の人は特に。
自分が迷子なのに、子どもに教えられるわけないですしね。
それにそういうのは背中で見せるのであって、直接指導するものでもないと思います。

自分の人生立て直すに子育てはチャンスやヒントが満載な気する。
それだけ強制的な向き合わなくてはならない力働く関係性です、親子。
なかなか面白いです。

 

***

同じチャートをどのように使うか。
天体をどう豊かに使いこなし、
「チョイス」と「環境」によると思います。

環境については、
“Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.”
という感じで、コントロールの効かない範疇ですよね。
それについては、
アリストテレスのニコマコス倫理学を何回か習っていますが
(さわりだけね、理解するなんておこがましい感じの古典ですな)
現代の哲学においても、まだまだ存在感があり過ぎるものでもあります。

特に重要視されているのは、人間の繰り返し行う習性、習慣(habitus)について。
習慣は基本、無意識に繰り返すこと=月です。月は幼少期に積み重ねたこと。
これに関してはほとんどチョイスがありません。0~7歳、
与えられたものの中で生きていくしかない未就学児、もしくは未就園児ですね。
慣れというものです。馴れでもありますね。

あと、水星期。双子サインのイメージです

これらのものは、自分が無意識にしてしまう癖を形成する時期なわけです。
社会的、家庭的環境背景だと言われていて、
何かの固定概念を形成するものです。いわば、目に張り付く鱗ですね。

ニコマコス倫理学において、アリストテレスが、
愛(フィーリア)について語る部分がありますが
その中に、人を引き付ける魅力の一つとして、
アレテイ(積み重ねにより習得した徳?)を上げています。

アレテイは卓越性であり、その人間の状態。
これは人生における選択の積み重ねが形成する人柄ですね。
環境の中でその人が積み重ねてきた「チョイス」ということになります。

環境が最も大きい影響をもたらし、それから脱するのは本当に困難だとされています。
後から教示による知的卓越性(自ら脱するために勉強し知識を得ること)によって修正し
選択の傾向をデザインすることが可能。

環境は誰が悪いっていうものでもないです。
これに対して、何を文句言っても何も変わりません。
環境を提示していた親でさえも、またその親に提示されてもので生きているわけで
そういう長い歴史を打ち破るのは、結構な根性がいるわけですよね。
未来を変えるべく、選択肢を変えるしかない、よりよく生きる意思と
それによって積み重ねていく長年のhabitusがアレテイを形成するのですよねえ。

だから、アリストテレスは、つまり、蛙の子は蛙的であることを示唆していました。
昔は、農民のような庶民階級に生まれてしまっては、
教育を受けるチャンスや暇(スコレー)がない。

最初からそういう生きるために必要な諸々を使用人にやらせているような
貴族階級のみがスコレーを持ち、勉強をするチャンスがあるとされていたわけですね。

現代のわたしたちは、
そういう風に、分けられていないので
教育というスコレー=スクールが権利として与えられていて、
環境から脱するチャンスを提案されているともいえますね。

あと、散々哲学学んで占星術を考えるとやはりたどり着く結論は、
『占星術は宇宙にある星と自分の呼応みたいなもんだから、
自然に逆らわないもので、従ってると不自然な必要以上の富を持つ
大金持ちにはならないよなあとふと思った。
足るを知るであり、満ちたり欠けたりする。』
というものです。

そして、アリストテレスの言う悪は
「過多をむさぼる不均衡な人」です。


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みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

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