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あおいとりプロジェクト

北大路魯山人

2015年04月22日|astrology, Days, Works, やまねこクロニクル

・4月27日(月曜日)の中野トナカイ
10時~13時まで水晶リーディング練習会があります。
14:00~18:30 通常の鑑定時間

※18:30~20:30はご予約いただければおります。
※鑑定の案内等は上のバーに表示されておりますがこちらをご覧くださいね!
※この日18時半以降の中野トナカイは岩田麻里さんです。

・近日中のスケジュールはこちら⇒
 
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※5月2日は「占いとアクセサリー」12時~20時です。
新作をいくつか作りました⇒こちら
 

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先日、テレビで北大路魯山人のドキュメンタリーがやっていて、
興味が湧いて、録画し、拝見。

これからこんな展示が京都博物館で行われますね。
ちょっと見てみたいー。
北大路魯山人の美 和食の天才

img408thumb

魯山人のドキュメンタリーを見ていて思ったのですけど、
この感じは絶対牡牛、牡牛だよ!と思ったら
冥王星土星海王星合です。ゆる―く合ですね。
IMG_6453

 

魯山人さん幼いころに里子に出されて、
京都の上賀茂神社の社家で生まれています。
1883年3月23日生まれ。
ウィキペディアには
『上賀茂神社の社家・北大路清操、とめ(社家・西池家の出身)の次男として生まれる。
生活は貧しく、魯山人の上に夫の連れ子が一人いた。
魯山人が生まれる前に父親が自殺、母親も失踪したため親戚をたらい回しにされる。』
とあります。

 

そのため、養父母を変えられ、転々とします。
母から離れて暮らすというところが、
乙女の天王星月合なんじゃないかなと思います。
海王星もトライン。

 

食べるものに困ったらしく、野菜の切れ端などを拾ってきて、
自分で料理しているというところから、彼の料理人生は始まります。
美味しいものを作って、養母のご機嫌を取ろうとしていたのではないか?と
語られていました。

 

そして、牡牛海王星が水星火星(魚)にセクスタイル。木星(双子)はスクエア。
そして、海王星と土星は金星の水瓶とスクエア。
金星と土星、水星と木星はミューチュアルレセプションですね。

 

小学校を出た後に絵描きになりたいから絵の学校へ通わせてくれと
養父母に訴え、怒りを買います(本当は跡取りにしたかったので)
その後丁稚奉公へ出され(漢方の店)方向から帰ってきて、20歳で上京。
すらりと、上京して成功したわけではないのです。
曲げないところが牡羊太陽。あっぱれです。

 

*1903年に書道家を目指して上京
⇒n太陽とt海王星スクエア、SAの金星とn火星合、t木星が合

 

*翌年1904年に【日本美術展覧会で一等賞を受賞】周りに認められる
⇒n金星にt土星が合、t冥王星トライン、n太陽にSA水星が合
そのあと、1905年書道家の弟子になる。

 

*1908年中国北部を旅行し、書を学び、朝鮮総督府に書記として勤めた。
⇒n太陽に、SA火星、t土星合、SA冥王星、t冥王星がn木星に合など

 

魯山人はその後あちこちにその芸術的手腕を認められ、
お金持ちのうちに出入りするようになり、(1910年ごろから)
食客として(つまりお抱え芸術家?)として柴田家に滞在、
その後どんどん名声を高めていく。(1911年ごろからp太陽は牡牛サインへ)

 

*1917年(大正6年)、便利堂の中村竹四郎と知り合い交友を深める。
(この出会いがその後の運命をだいぶ大きく変えます。)
⇒n金星にt天王星合(水瓶)、SA金星にn天王星、月がオポ

 

魯山人は奥さんを5人変えています。
しかも、
女性から離縁を言い出すように仕向けているような態度をすることが多く、
母親との関係が変わった形になりやすい月天王星の合にあった感じです。
金星も水瓶ですし。完璧な女を求めたのかもしれません。

 

日常でも、食べ物の出し方や、食事の在り方などのこだわりが強く、
(器や演出や、調理法、素材の良さなど!)

 

ちょっと気に入らないとひっくり返したり、食べずに外出したりしたそうで。
大体、美食家の魯山人に夕餉を作るということ自体、すごいことですよね。
自分で作ればいいのに、マインドが昔の男性だから思いつかなかったのかもしれませんね。

 

彼のいう人間の食の原点は母乳、そしておふくろの味。
料亭のきらびやかな不必要な飾りを嫌い、
親しみやすい、庶民的な料理ながらも、味というものにこだわり、
どういう演出で出すのか?というところを大事にした人。
あからさますぎてもダメだしさりげなすぎてもだめという、
男子厨房に入らずという時代に、食を文化、芸術に変えた人ですね。

 

母にこだわるところはかなりすごく執念深いです。
20歳になって、上京し、自分の母の登女(トメ)に会い、
自分は北大路家の人間なのだとわかり解明します。
しかし、母親には受け入れてもらえず…
お母さんに認めて欲しいという熱意は芸術を開花させたのではないかと思います。

 

その後、実母の登女の死後、
1921年会員制の「美食倶楽部」というのを立ち上げます。
⇒n火星にt天王星が合。SA木星が獅子サインにイングレス、n木星はsa海王星と合。

 

*1925年(大正14年)3月20日には東京・永田町に「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を設立。
(かの有名な高級料亭ですね、料亭料理はださない魯山人料理のみだ!と言ったあれです。
山本と共同経営でやります。お金は山本、プロデュースは魯山人という形。器から全部魯山人が作ります)
⇒p太陽がtドラゴンテイルと合、そして、t土星がオポジション。SA金星がAPでほぼn太陽と合
あと、SAドラゴンテイルに木星が合

 

この星岡茶寮は料亭ではなく「美の殿堂」と呼ばれます。
どんなお客にも、ぴしゃりと9時半には閉めてしまう店。

 

ネタバレしてしまうと、この店を出したあたりから、魯山人の傲慢さは拍車がかかります。
店の1日の売り上げを全部持って行き、古美術に使ってしまうとか、
山本竹四朗はちょっとずつ、見放し始めます。そういうところがドラゴンテイルがらみかなと
ちょっと思いました。

 

ドラゴンヘッドに土星とか、なんか幸運の泉にマンホールの蓋って感じしますからね…
(nドラゴンヘッドの位置に土星乗せてくる人って、相性的にもやもやしますし、
これは店と魯山人がそういう相性という感じになりますね)

 

牡牛っぽいなあと思うところは、
素材にこだわり、その育成方法や採り方、その環境などにも
言及していて、素材の扱い方、どう調理するかなどもこだわりが強いです。
そして、料亭料理を杓子定規に当てはめた型の中に入れたもので、
そんなものは意味がない、味がすべてだ!という考えでした。

 

そして、味を見極めるのは生まれつきの才覚だとし、
腕や技は修行で何とかなるが、味を見分けるのは無理と言っています。
牡牛に対する理想の高さを物語っていますね、極論ポイところが冥王星。

 

「廃物利用、素材を無駄なく使い切る、料理人の腕の見せ所」
「旨すぎると言うのは味が過ぎると言うことなので食べないほうが良い。」
とかは、乙女月と冥王星牡牛トラインぽい感じでもあるし、

 

「砂糖と化学調味料を使わない、旨味は甘み」
「魚の姿、細工料理禁じる、飾らないが、演出する。」
とかは、金星水瓶と牡牛海王星のスクエアとかに見えます。

 

完璧な美というのが、牡牛と水瓶の拮抗から生まれたものなんじゃないかなと思います。
会費制の美食倶楽部とかのアイディアも水瓶的だと思います。

 

魯山人はその後誰に対しても傍若無人で、相棒だった中村竹四郎に対してもそうで
ひたすら彼の才能の理解者だった彼は、母親みたいな存在だったのかもしれませんね。

 

結構傍若無人な振る舞いをしている人って、そこで相手の許容量を測っているところあると思います。
理想の母とは、何をしてもわが子を愛し許してくれる聖母マリアのような存在。
そんな存在とは正反対の実母に落胆し、他人に求めていたようにも思えます。
そういう意味では、中村竹四郎はよく我慢したと思いますが、度が過ぎました。

 


1936年この辛抱強い相棒に愛想を尽かされ、訴訟にまでになる。
約十年続き1945年の5月まで争い、二度と二人は合わなかったそうです。
(中村竹四郎さん誕生日わからないけど、蠍座ぽいなあー)
そして、そのあと東京大空襲で、星岡茶寮は焼け落ちてしまいます。

 

その後、食の道ではなく、器づくりに専念し、
シャガールやピカソなどと積極的に交流したそうです。

 

まさに「生きることの壮絶さを見せつけられる」と、
番組は締めくくっていましたが、本当そうですね。
冥王星が太陽にも、月にもかかっていて、半端ない生き方の人です。


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みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

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