ほしといしと占いのみかみまきのサイト

あおいとりプロジェクト

『無意識の整え方』を読了

★6月6日月曜日 11時~21時までウラナイトナカイです。
11:00~21:00 通常鑑定です。

6月の予定UPしました。
**
この間行った講座の先生の本をだいぶ前に読了していたのですが
その感想文を書いてなかったので、好きな所をめもりました。
本は何冊も読んでいるので、いちいち読了ブログを書かないのですが、
これは特別。

いろんな無意識の達人にロボット工学の大学の先生が
話を聞きに行くという対話形式。
ロボットに心を与えるにはどうしたらよいか?という課題を解くには、
人間の無意識を理解する必要があるという動機から動き出します。
合気道(意識より早く動く無意識)、
禅(瞑想、宇宙との呼応)、
森(自然が意識に与える影響と癒し)
医者(哲学などの知識とその周辺?)
という分野を絞り込むとこが面白いです。

この本はどこがソースなのかわからないニューエイジ的ではないから斬新。
「Open your mind・・・」ということに
渡りに船的な姿勢な人は好ましいかもしれませんが
わたしは「ん?根拠どこ行った?」的なトンデモな内容は
わたし苦手でほとんど読みません。だからこれは衝撃でした。
大学の先生がこんなトンデモ分野に興味を持つとは!!!と。
わざわざ、お金払って買っちゃう価値ありだと思います。
タイトルが軽薄な感じなのは多分、売りたいからでしょうね、笑。
内容はタイトルのチャラさとはかけ離れていて重厚感があります。
そういう意味では稲葉先生の医者なのに変性意識?!も衝撃でした。

合気道や仏教はもちろん面白いのですが、
特に、森の癒しの回はとても共感しました。
森マジックって感じでしょうか、陳腐な表現ですけど。
森をカウンセリングに使うという発想は素晴らしい気がしました。
 

山に登りたくて運動に行ったり(この運動嫌いの私が!)
大事な人と大事な話をするときは必ず公園を使ってました。
木の力を借りるという感覚でしょうか。
あと人の思念波を遮断するというのも感覚が似ています。
大事な人と私の間に不思議な絆が生まれ、心がつながる感覚。
まあこれはお互いがすごく大事に思っていることと、
信頼しているのが条件のような気もしています。
一緒にいるのは誰でもいいわけでも、また誰か必要であるわけでもない。
真剣に向き合おうとする姿勢を、木は助けてくれる気がします。
わたしは大切な人と共有した公園で過ごした時間を宝物にしています。
そういう魔法が、木々にはある。口で説明できない何かが。
 

でもやはり一番は、
思いつきで申し込んだ
ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」講座の稲葉先生の章。
講座が面白くて本を思わず買ったのです。

わたしがとても印象的だったのは、
‟みずからとおのずからのあわい”(自らと自ずからの間)
という言葉。稲葉先生も恩師から聞いて衝撃を受けたと
紹介しています。本の中で。

 

意味としては以下の混合ですね。
***

・あわい(間)
1 物と物とのあいだ。
2 事と事との時間的なあいだ
3 人と人とのあいだがら。相互の関係
4 色の配合、取り合わせ。
5 折。機会。

・おのずから
《「己 (おの) つ(格助詞)柄 (から) 」の意》
1 そのもの自体の力、成り行きに基づくさま。自然に。ひとりでに。おのずと。「この誤解は時が来れば―解ける」
2 偶然。たまたま。まれに。

・みずから
《「み(身)つから」の音変化。「つ」は「の」の意の助詞。身そのもの、の意》
[名]自分。自分自身
[代]一人称の人代名詞。多く、身分の高い女性が自分をさしていう。わたくし
[副]ほかの人の力に頼らないで自分の力で行うさま。手ずから。自分で

***

わたしたちは動かされている部分と(目の前に具現化する選択肢という意味で)
選び取っている部分(体を動かすというのは自分にしかできないことだし)
が、微妙にあいまいにないまぜになっている世界に生きている気がしていて、
提示される環境(おのずから)とそこに反応する意志(みずから)が混ざった世界で
生きているよなあと思ったのです。

 
生きているということは、死ぬということを前提にしている言葉とか。
これはハイデガーの思想を聞いていて感じたことですけど、
「人間の特性は、私たちはいつか死ぬということを知っているということ。」
というキリスト教的な欧米の思想ですね。
こういうのも、あわい的であると感じました。
 

このみずからとおのずからのあわいという言葉が出たのは
稲葉さんが恩師になぜ倫理学の講師になったのかと聞いたとき。
わたしの今の仕事はまさにこの感じの出会いだと思います。
というか、この世のすべてはそういう感じに出会うのだと思います。
特別感はない、とてもフラットで、偶発的。
降ってくる環境(おのずから)と自分の選択(みずから)の混合が人生というか。

ただこの中で起こりうる「憧れ」は、ちょっと要注意な気もしてましたが
それはそれで避けるべきでない、通る道でもあると。
占星術の鑑定で大事にしていることは
「人生でやってきたことに無駄はない」
という考え方です。やってきたすべてに自分の個性が宿っている。
そういうところもこの「あわい」なんだとすごく感じています。
そういう迷い、悩みを経て、自然にたどり着く領域が「わたし」なんだと。

あくが・れる【▽憧れる】
《本来は、あるべき所から離れる意》
1 いる所を離れてふらふらさまよう
2 物事に心が奪われる。うわの空になる
3 胸を焦がす。思い焦がれる
4 気持ちが離れる。疎遠になる

わたしは憧れで、そういう自分になりたくて、旅行業を選んだ気がしましたが、
あまりに合わなくて断念。わたしは旅行がしたいのであって、
人に旅行を提示したいわけではないと気が付いて、挫折しました。
でも逆を言えば、その憧れで無駄を削いだ気がします。
憧れで驀進したon the wayで得た大事なモノもある。
なので、みずからとおのずからのあわいをたゆたうのは
必要なのかもしれません。

そして次の以下の引用部分↓

やっぱり「真・善・美」で考えると真と善は必ず対立します
これが正しいこれが良いとお互いが真と善を主張しあって譲らず、
その対立が戦争起こしたりするわけです。
だからこそ本に日本人は美で調和している。
人類には美と芸術が絶対必要なんだと言うのはそのためでもあります。

人が一人ひとり美に関心を持つことを前提として、
美というものに関心を示す領域・心意気に達するのが理想的ですよね。
みずからとおのずからのあわいとつながっているのだなと感じます。
欲と別れた先の仏教の宇宙観みたいな。
自由意志に関する疑問を解くというか。

占星術を考えるとき、
自由意志については避けられない命題であり、
その日本的な答えとして、
この言葉がすべていろいろを説明するなと。

この間、はっとしたというか、急になんとなくわかったんですよね、

「わたしはあなたであり、あなたはわたしである。
わたしは宇宙であり、宇宙はわたしだ」

ってやつです。

感覚的に入口にたどり着いた程度ですけど。
エネルギーは一つのうねりであり、つながっていて、
吹き出し個所として個はあるというイメージです。

エネルギーは還り、また循環し、供給される。
だから小さな誰かの怒りはどこかにたまって吹き出し、
(社会秩序的に)犯罪となる。
その犯罪は他人事ではなくて、結果彼がしてしまったことだけど、
その担い手の発端はわたしでもある。
だから社会福祉という概念があるんだって。

犯してしまった罪は本人が反省するの大事だけど、
わたしたちやらないですんだ人たちは、
どうして起こってしまったかを理解したほうがいいなと常々思います。
明日は我が身だからですね。わたしたちはそんなに違いはない。
たまたまうねりが彼に向かっただけ、という感じな気がします。
社会に責任があるという考え方は、そういう意味で
意識しようとしていまいと、関係している気がします。
 

余談ですが、
面白いなと思った著者の考え方、
【この著者が提唱する幸せの4つの条件】
1自己実現と成長
2つながると感謝
3前向きと楽観
4独立とマイペース

わたしは自己実現が危ういですが、ほぼあてはまりますね。
そして、そんなに不幸だと思っていないタイプです。


Profile

みかみまきプロフィール写真
みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

noteつかってます